母の旅立ちから「hあっ」という間
1月4日に母が亡くながりました。
3日までは落ち着いた状態だったようですが(面会できないので具体的な様子は
私にはわかりません)、夜から血圧が上がらなくなり、日を超えて
深夜1時半過ぎに入院先の西多摩病院から「危険な状態です}と電話がありました。
2時48分。
母は本当に安らかに旅立ってしまいました。
まるで、寝ているかのように。
母の葬儀は13日にお通夜、14日に告別式を執り行いました。
家族葬だったのですが、13日17時から弔問の時間を設けさせていただき
200名近い方が弔問に訪れてくださいました。
本当にありがとうございました。
現在に至るまで、様々な手続きに翻弄され、また、私自身、2年強に及ぶ
介護の疲れが出てきて、眠れない、食べられない状態が続きました。
私にはいまだに母がこの世にいないのだ、という実感がありません。
しかし、入院しているときの独りと、現在の「独り」は肌感覚として
全く異なるものです。
母は議員として、家族を顧みず、常に市民のみなさんを優先としてきました。
子育てよりも、市民優先。
母は議員として、まだまだやりたかったことがある、と思います。
議員を辞してからも、街のことを常に考えていましたし、
私が議員になってからも、予算書や決算書、議案は私以上に読み込んでいました。
いまさらながら、もっと母に教えを乞うておけばよかったなあ、、、、
そして、母ともっと語り合いたかったなあ、、、という想いでいっぱいです。
4月には決戦が待っています。
前を向いて、仲間とともに進んでまいります。